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WATANKO

Author:WATANKO
2008年からインデックスファンドによる資産運用を始めた個人投資家です。またサラリーマンの傍らで家業ともいうべき不動産賃貸業も営んでいます。趣味は自動車にまつわる諸々。

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先祖代々の土地を処分できるのはあなたしかいない

2019/10/31 22:42:00 | 不動産投資 | コメント:2件

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前回の記事について不動産資産と金融資産の兼ね合いや農地の保有についてご質問を頂戴しました。そこで今回はWATANKOが親から土地を引きついで、それをどう扱ってきたのか、これからどうするのかという話から、現物不動産と金融資産の持ち方の推奨についてふれてみたいと思います。

 

不動産とは①所有者自身の自宅など生活基盤に役立つもの、②賃貸や商品を作り出すことによって収益を生むもの、③資金需要が出てきた際には換金性が期待できるものでなければ保有する価値はほとんどありません。

 

昔であればどんなところにあっても平地であれば田畑として農作物を作り出す場所として利用できました。山林でも狩猟の場や木材の供給源として活用できました。このように田畑でも山林でもとにかく土地を所有することが豊かさの源泉でありました。

 

また戦後の高度成長期以降、バブル期の頃くらいまでは土地は値上がりするものであり、ローンを組んででも土地付き住宅を手に入れることが将来の資産形成に立派に役立ちました。

 

でも平成、令和の世では不動産は冒頭の価値がなく、後生大事に保有するだけであれば、固定資産税と管理の手間がかかるだけでなく、様々なトラブルの発生源にもなりかねないという、ただの負債であります。まさに“負動産”

 

もしあなたが先祖代々受け継がれてきた不動産を承継したとしても、それが“負動産”であれば、保有し続けることをよくよく考える必要があるのではないでしょうか。

 

そしてもしも承継した“負動産”を処分するとしたら、それは承継したあなたをおいて他にはできません。

 

WATANKO家の不動産活用

 

それではまず少々、WATANKO家の話にお付き合いください。

 

年老いた叔母からの伝聞によりますと、おそらく昭和一桁の頃、WATANKOの祖父は事業に失敗し、幼い息子(WATANKOの父)を連れて実家に戻りました。その際に曾祖母(祖父の母)は家督を継いだ息子(祖父の兄弟)に頼み込んで、祖父にいくつかの土地を分け与えてくれました。ちなみにそのひとつに農作業場があり、そこが現在のWATANKOの実家と現自宅の敷地となっています。

 

長男であった父は祖父からそれら土地を受け継ぎ、稲作を主とした農業で生計を立てました。父は所有する農地だけでなく、他の土地も借りて小作でも稲作をやっていた模様です。WATANKOには毎年5月になると父が田植えのために、隣の県からおばさんを3人、日雇いで集めていた記憶があります。

 

その傍らで父は所有する田畑の一部を更地に変えてそこに戸建て住宅を建てたり、山の斜面を整地し、そこにブロック塀を自作して駐車場をつくったりと不動産賃貸業を副業として営んでいました。

 

父いわく、戸建て住宅に関して昔は十坪の家が1,000千円で建ったそうです。そして近くの国道沿いに手書きの「空き家あります」の看板を立ててればすぐに入居希望者が見つかったそうです。

 

勿論現在とは物価水準も建築法規制も異なるので一概には比較できませんが、それでも賃貸用の戸建て住宅は現在よりもおそらく低コストで家を建てることが出来て、かつ住宅需要が旺盛であったことからいつも満室となっていた模様です。

 

こうして高度成長期には不動産賃貸は素人の個人が手掛けても随分と割の良いビジネスだったでしょう。たしか母曰く家賃だけで日々の生活費は賄えていたようです。

 

さて話は父の本業に戻りますが、父が農業で大変な重労働をする様子を見ていたWATANKOは、こんな泥土にまみれ、汗だくになるような仕事には関心がもてず、また当時、小学校の社会科の授業では農業から工業、商業へと就業人口がシフトしていくこと、つまりは将来の社会の変化を学びました。

 

それらのことからWATANKOは小学生の頃から父に対して自分は農業は継がないとはっきりと伝えていました。父自身もWATANKOが大人になる頃には農業は今よりもずっと流行らなくなる。公的な資格でもとって手に職をつけた方がよいだろうとWATANKOに語っていました。今から40年以上も前の話です。

 

■不動産活用の加速

 

やがて1980年代後半のバブル経済の余波はWATANOが住む地方にもやってきていました。農業をやめて土地活用を考え始める地権者が増えてくると、市内のいくつかで土地区画整理事業が立ち上がります。土地区画整理事業についてはこちらをどうぞ。

 

父も1980年~2000年あたりまでの約20年の間に3つの土地区画整理事業にかかわってきました。そのうちのひとつでは父は理事長を務めていました。夜になると地権者たちが自宅にやってきて打ち合わせを頻繁にやっていた記憶があります。父は昼間は農業に従事しており疲れているはずなのに大変だなあ、大人とはこれほどまでに働かなければならないものなのかとWATANKOは当時思っていました。

 

こうして土地区画整理事業の結果、整地され形状が整った土地をいくつか手に入れた父がその一つにイタリアンレストランを建てて賃貸業を加速させていきます。就職したばかりのWATANKOを連帯保証人にたてて金融機関から多額の借り入れを行うなどなかなかにアグレッシブな面もありました。

 

やがて父は70歳代後半で認知症が発症する兆しが見えた段階で、不動産賃貸業の継続は困難となり、急きょWATANKOが引き継ぐことになりました。

 

■不動産のリストラ

 

いざWATANKOが父から不動産賃貸を引き継き、その現状が分かるようになると色々なリスクをはらんでいることが明るみになりました。

 

契約内容に問題があったり、賃貸先のプロファイルに問題があったり、トラブルが頻繁におきていたりと、引き継いだ物件のほぼ全部にこれらのようなリスクがもれなくついていました。マンマミーア!

 

そこでWATANKOはこれら目の前にあるリスクに辛抱強く付き合いつつも、機会をみつけてば従来の賃貸契約を解除する一方、保有不動産に資金を投入して造成工事や老朽化した建屋を解体するなどして仕立て直しました。そして新しい賃貸契約を締結する際には相手をよく選び、きちんと書類を取り交わしてリスクを減らしてきました。

 

これら保有不動産のリストラを十数年かけてすすめてきた結果、不動産賃貸収入自体はWATANKOが引き継いだ時点からおよそ半減しましたが、現在保有している事業用不動産はどれも安心して子ども達に承継させることができるものばかりとなりました。

 

また一方で長年、賃貸活用を模索していた複数の遊休物件については、思い切って処分をしました。この塩漬け状態の土地に対して「いつか活用できるかもしれない」と収益化の願望を捨てきれず、子ども達に付け回すわけにはいきません。

 

かつて農家であったWATANKO家には、今となってはもう農地はひとつも残ってはいません。保有土地は自宅の敷地、親類を住まわせている敷地を除くとあとは全て事業用地となりました。

 

(つづく)



end


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コメント

2019/11/01(金) 19:04:20 | URL | higashinakanoya #-
WATANKOさんが、土地に対して考えて来られた経緯が良く分かり、とても参考になりました。続きをお待ちします。

Re: タイトルなし

2019/11/02(土) 09:57:16 | URL | WATANKO #/uTO8teo
higashinakanoyaさん

コメントありがとうございました。続き記事をUPしました。ご笑覧いただければ幸いです。

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